「宇宙エレベーター」への挑戦

戦後70年、さまざまな戦争史が語られていますが、史上最大の戦艦大和には世界で初めてのエレベーターがあったそうです。SF作家アーサー・C・クラークが構想したのは「宇宙エレベーター」です。そのSFの世界がカナダの企業によって、地上20kmの宇宙エレベーターの実現に向けて動き出しました。
世界で一番高いビルはドバイの「ブルジュ・ハリフア」で828.9mですからその20倍以上の高さで成層圏に十分至達する距離です。宇宙エレベーターのメリットは、この屋上に飛行場があり多段式ロケットを必要としないことで、給油や再飛行ができ燃料費を30%節約でき人工衛星の機能も肩代わりすることができることです。考案したカナダのThoth Technology社では、構造体を支える材料はダイヤモンド・ナノファラメントを提案していますが、強風を耐える能力が必要で揺れをどう支えるかが問題だとしています。費用は不明ですが、壮大な技術への挑戦ですね。

ロボットにも法律?

私たちの会社は精密機器のオーダーにも応える産業ロボット分野でも活動していますが、ロボットの社会的普及と変革・恩恵には素晴らしい発展があります。自動洗浄機に始まり、お掃除ロボ、介護ロボや災害ロボコンと進化し、いよいよ自動車も名前通り自動運動へと急速に進化しそうですが、人との共存に向けて法律の在り方が議論され「ロボット法学会」が設立されます。その理由は、自動運転の車が事故を起こしたら責任を取るのはメーカー?、乗っている人?。介護ロボが人にケガや骨折をさせたら誰の責任?。もしも、人工知能ロボが故障で危害を及ぼしたら――――と数々の法的問題が生じます。新たな法解釈や立法が必要で開発する私たちもあらかじめルールを作り、そのリスクが予測できれば開発にも力が入り責任も明確になります。
無人飛行体ドローンが急速に広がるなか、新しい秩序が必要なのと同じですね。

108歳の回転木馬(メリーゴーランド)に感動

日本の産業革命遺産の勧告が世界のニュースになっていますが、日本機械学会が2007年から認定を始めた「機械遺産」をご存知ですか。毎年8月7日の「機械の日」に発表されますが、もう70件以上の機械遺産が認定されています。そのなかに「としまえん」(練馬区)の回転木馬「カルーセル エルドラド」、1907年にドイツ人技師ヒューゴ・ハッセ製作の回転木馬が現役で動いています。木造で24頭の馬と6頭の豚が走るアールヌーボー調の木馬です。米国の遊園地が閉鎖され、としまえんが輸入し2年かけて改修し71年に息を吹き返したハッセの最高傑作として高い評価を得て、2010年芸術作品と機械技術が融合した見事な作品として機械遺産に認定されました。

メリーゴーランドは遊園地の花形として、いまも子どもたちに夢とロマンを与えていますが技術屋としては108年もまわり続けてる回転木馬に嬉しさと誇りを感じます。

夢、開く日本の産業革命遺産の勧告

明治日本の産業革命遺産として国内23資産がイコモス(国際記念物遺跡会議)から世界文化遺産「登録」を勧告されました。

正式決定は7月頃、21ヵ国の委員国がドイツのボンで開かれる会議で決定されるそうです が、その基準は“遺産の価値の証明ができるか、遺産を守る体制が整っているか”などが判断されて、正式決定となります。

幕末から明治の近代化産業史に残る150年から200年も前の産業遺産で、長い鎖国政策から西洋の技術を学び明治維新後に日本に急速な勢いで近代化を築いた志を今に継ぎ、モノ作りニッポンの原点が評価されるのです。

世界から評価される蒲田のまち工場群も、これから100年、200年後には世界の技術を支える日本の匠集団のまちとして評価される のではないでしょうか。

わが社も小さな精密機械の匠工場ですが、日本の技術の「底力」とその志を後世につなぎ続けていく所存です。

「都市鉱山」と「人口鉱床」

ミステリアスな名称ですが「都市鉱山」の名付け親は東北大学の南条道夫教授で、「工業製品を再生可能な資源とみなし、蓄積された場所を都市鉱山と名付けた」と88年に論文で発表したのが最初だそうです。
携帯電話やパソコンに使われる希少金属(レアメタル)が再利用の対象で、インジウムやパラジウム、コバルトや金、銀、錫、アンチモンなどの金属が回収されています。日本国内にあるインジウムの量は、世界の天然鉱山にある埋蔵量の6割あり、世界の消費量と比べると3.8年分に当ると推測されています。また携帯電話1台に使われる金の量は6.8mgで、鉱石より含有率が高く、その埋蔵量は6,800tで、時価22兆円相当に上るそうですからお宝鉱床です。こうした有用金属を含む製品の廃棄物や製造中にでる廃物の再利用回収システムを作る「人口鉱床」計画も進められており、私たちも希少金属資源のリサイクルには細心の注意を払っています。

ロボットと暮らす日

日本の総人口は2040年度頃には1億人を割り、9,600万人程になり生産労働人口は8,000万人から30%減の5,600万人になると予測されています。この人口減をどのようにカバーすれば良いのでしょうか。

さて、現在様々な分野でロボットが活躍しています。家庭ではお掃除ロボットや、人工知能を使って会話をしたり接客をする人型ロボットが働いています。すでに工場では多くの工業用ロボットが活躍していますが、医療分野や介護施設でもロボットが進出しています。15年後の2030年には現在の仕事の30%~40%がロボットに代わっていると予測されていますので、生産労働人口減をロボットがカバーすることになるでしょう。もちろんロボットは万能ではありませんが、鉄腕アトムやドラえもん、ケアロボット、ベイマックスのようなマンガやアニメの世界が実現するかも知れません。我が社も工業用ロボットの一翼を担っていますが、ロボットと暮らす日を想像しています。

日進月歩の夢を乗せて「はやぶさ2」 の旅立ち

小惑星イトカワから微粒子を地球に持ち帰った小惑星探査機「はやぶさ」の感動と夢を受け継ぎ、「はやぶさ2」が地球と火星の近くを回る小惑星「1999JU3」 に向って、12月3日種子島宇宙センターから旅立ちました。
「はやぶさ2」 は、ほぼ1号と同じ大きさですが重さは少し重い600kgで、姿勢制御装置やイオンエンジンの耐久性や推力を増強するなどの技術的な改良を重ねて飛び立ちます。大手企業から数人の町工場まで100社以上の職人達の夢と技術を乗せ、小惑星に到達するのは2018年 夏の予定で小惑星の表面物質や地下物質を採取して地球に戻るのは、2020年東京オリンピックの年の年末になるそうです。こうした探査機の実験はやがて火星に人を送り100年後かもしれませんが、火星移住を目指すことが目標だそうですから宇宙へのロマンは広がります。我が社も日々 の技術革新が常に夢への挑戦ですが、「はやぶさ2」の成功を願わずにはいられません。

三人のノーベル物理学の受賞に思うこと

今年のノーベル物理学賞に青色LEDの発明・普及で、赤崎、天野、中村三教授が受賞されました。その理由は「明るく省エネルギーな白色光を可能にした効率的な青色発光ダイオードの発明」で、青色LEDは「人類に最大の恩恵をもたらした発明」とたたえています。

赤崎先生(85歳)は「私は幸運で、決して私ひとりでできたわけではない。」
闘う研究者として知られる中村先生(60歳)は「自分の発明したものが使われていることは非常にうれしい。」
天野先生(54歳)は「私は平均的な学生だったが、一つのこと集中して続けること、人の役に立つことができると身をもって示すことができました。何をやるかを決めたら、必ずできるはずと思いこむことが大事」
と語っておられます。

21世紀を照らす光、LEDは私たちの生活を進化させる発明として広がりを見せることでしょう。受賞の言葉を聞きながら、「努力なしでは運は訪れない。努力は人を裏切らない」ということをもう一度、思い起こしています。受賞、おめでとうございます。

温故知新と機械遺産

群馬県富岡市の「富岡製糸場」がユネスコの世界文化遺産に登録され、連日にぎわっているそうです。明治5年に操業を始め、外国の機械や指導者も入れて最新の技術を融合した模範工場でしたが、昭和62年操業を停止し以来、機械や建物が取り壊すこともなく管理してきた結果の世界文化遺産です。当社の古川工場である飛騨市には、製糸場で働いた女性の姿をまとめた「あゝ野麦峠」(山本茂実1968年刊)に、働きに出る女性たちが最後に泊る宿が描かれていますが今も昔の姿で営業しています。

日本機械学会が2007年から始めた「機械遺産」が毎年認定され、すでに69件が登録されています。南極で活躍した雪上車や現存最古の動力旋盤、黎明期の家庭用電化機器や農業機械、豊島園の回転木馬「カルーセル エルドラド」など日本の得意分野が見えてきます。日本の近代化の発展の証しとしての機械遺産は、蒲田の匠たちの歴史のようにも思えます。技術の日進月歩が「遺産」となることに感無量です。

まち工場の石鹸

現場で手についた油を落とすのが一苦労で、先代の渡辺が手荒れをせず油汚れを落とす石鹸を求めて開発したのが「ハネダクオリオ石鹸」です。

現場の悩みから生まれた石鹸の歴史をたどると、紀元前58年~52年のローマ時代にガリア人(現在のフランス)が、山羊の脂肪とブナの木の灰から石鹸を発明したと言われています。石鹸はSapoと呼ばれ、ドイツ語のSepeが語源で現在のSAVON(仏)になったのでしょうか。ラテン語の本では石鹸は牛、山羊や羊の脂肪と生石灰より強められた灰汁との混合物から作られ、イタリアや東洋ではシャボン草の根に石鹸質の液汁を含んでおり着物や毛織物を洗濯するのに用いられたと書かれています。また、酸性白土が「布さらし職人の白い粉」として使われ、国の名前を付けた「キオス島の土」、「サモスの土」と呼ばれ「襟洗濯用の土」もあり、土の色によって「黄色い石鹸」や「黒い石鹸」、「褐色の石鹸」と呼ばれていたそうです。なぜか、シャボン玉の夢が広がりそうな気がします。