「AIで作った俳句は採用しません」と言う記事を読み、どうやって判断するのかと不思議に思いました。確かにAIで俳句は上手に作ることは出来るのでしょうが、それは作品の上手、下手ではなく作ったヒトの身体的な感性や選者の感性が選ぶことなのです。
“柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺”有名な正岡子規の句ですがAIで作れば簡単な句かもしれませんが子規は病弱で夏目漱石の下宿に50日程滞在し奈良に入る前日に詠んだ句です。見えない風景を体身から発する感性です。
身体を持たないAIには詠めない俳句です。梅干を見て酢っぱくなるのが身体の感性です。
科学技術はITやAIの技術とヒトの身体的感性の二人三脚で創られる技でなくてはならないと思っています。便利さを追及するのではなく、ヒトがいかに寄り添って技を研くかがこれからの研究開発の大切な視点だと考えています。
アーカイブ